安全操業宣言
四面を海に囲まれたわが国は、海の恩恵に感謝するとともに、海洋国日本の素栄を願う日として、七月二十日が祝日「海の日」となりました。
しかし、この豊かな恵みの海も時として、父を母を夫を妻を兄弟をそして子供の命をも奪う無情の海、悲しみの海に変わってしまうのです。
厳しい北の海を生活の場として漁業を営む私共は、本日この第五回漁船海難防止全道大会への参加を契機として、さらに一層海難防止についての意識を高め、海難の絶無を期して努力し、海難の無い明るくゆたかな漁業と生活を築くことをここに宣言します。

10-016-1.gif

海難事故体験
救命衣着用で海中転落から助かる

10-016-2.gif

私は、厚岸漁業協同組合に勤務し、指導部漁業振興課へ配属されている今村征士と申します。
今年の春、私が体験しました海中転落事故につきまして、発表いたします。
私は、漁協職員とはいえ内陸の出身です。この体験発表は漁協職員としての失敗談でありますことを初めにお断り申しあげます。
その海難事故は、今からおよそ五カ月ほど前の四月十八日の出来事です。
当時の気象状況は、春とはいえ肌寒い日が続いて、水温は氷点下○・五度、気温は一−二度、うねりは二−三メートル、北の風が吹いておりました。
このような状況の中、当組合の事業計画に基づいた業務(ノリの養殖)をその数日前から組合員とともに進めておりました。私は、前に申し上げましたように内陸出身であり、海上作業はほとんど知らず、最も苦手な業務でした。しかし、それまで作業は順調に経過し、当日が最終日でありました。
今振り返ると、ちょうど疲れもピークに達しており、さらにこれが当日の寝坊へとつながったのです。朝五時半の集合にようやく間に合い、すぐ準備にとりかかり、出港までは慌ただしい時間が過ぎました。
私は、同僚と組合の所有船「あさかぜ」に乗船し、出港して十分ほどで現場に到着しました。同僚と仕事を分担し、早速作業に取りかかりました。私は船外機船の操船に不慣れなことから、大型クレーン船での仕事の担当となりました。
また他の組合員の方々もそれぞれのポジションにつき作業体制は万全となり、私がクレーン船に乗り指示するばかりとなりました。
クレーン船に乗るには、クレーン船に係留してある「引き船」を介さなければ乗船できないので、私は同僚の操船する船外機船で引き船へと導いてもらいました。
若干うねりがあったので、タイミングを計りながら乗り移ろうとし一合がチャンス」と思い、片足を引き船に掛けたところ、急にうねりが大きくなり足が開いてしまいました。そしてバランスを崩し引き船と船外機船の間に落ちてしまいました。
私は、もともとカナズチで泳げません。驚きのあまりに手足は動かなくなり、耳は遠くなり、恐る恐る目を開けてみると、目の前が

 

 

 

前ページ   目次へ   次ページ